課題3 わたしにとってのレファレンス

わからないこと、が、わかるようになること、は、楽しい。

今回、疑問を受講生のみなさんに調べてもらい、じぶんではなにもせずに回答をもらった。

楽であった。楽しい気持ちだけがある。

子どもの頃、親にねぇなんでどうしてと尋ねて、すぐに答えてもらったときのような感じである。

調べていただいたみなさん、どうもありがとうございました。




わからないことが、わからないままになっていることが、しかし、世の中には多い。

強いてはわかりたくない、というひともなかにはいるだろう。

それでもたいていは、わかるようになるといいなと思いつつ、どうすればわかるようになるのかを知らされずにいるだけなのではないかとおもう。

ミッフィーかぴばらさんがレファレンスについて「何かを知りたいと思っている人へのサービス全般と知りたいと思わせる興味の提起」と書いている
http://miffy-capybara.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-902c.html


読みながらその内容に関して、大いに賛成し、刺激を受けた。



いま現在、学校のなかで働きながら、図書館員としてするべきことについておもうとき、まず伝えることだという気がしている。

具体的な例を挙げると、昨年くらいから、学校にある全ての部活動に関する雑誌で購読していなかったものをできるだけ揃えるようにしはじめた。

まだ、バドミントンの雑誌が届いていないが、ある程度部活関連の雑誌が揃ったら、図書館報でそのことを知らせる文章を書くつもりだ。当然、読者も増やしたい。

口コミで「図書館にあるらしいぞ」と広がっていくことも多いけれど、こちらからなるべく、利用者である生徒たちに情報が行きわたるようにしたい。



だから、発信することもレファレンスだとおもいたい。



今回、疑問を調べてくださったかたも、それぞれに回答の紹介のしかたが違ったように、同じ内容であってもそのひとがそれぞれに疑問をどう受け取ったかによって違ってくる。

どういう資料をどんな順番でどうやって紹介するかというところからも、それぞれの力量や個性がどうしても現れてくる。

もっというと、場所をたずねたときの答えかたなども、同じことなのかもしれない。

あの図書館員に尋ねたい、とおもわせるようなひとが、わたしの利用する公共図書館にもいるとうれしい。

ひるがえってわたしは、ほかの受講生のみなさんとは日頃接する人数もうんとちがうわけだが、なにかを尋ねたいとおもわれているのかどうか。

確実に先輩のほうが頼られていることに間違いはない。いや、でも、がんばろう。



あとは、個人的にどんな本がおもしろいですかという相談が多いことを考えると、

圧倒的に、じぶんには、読書量が足りないとおもう。

もっというと時間が、体力が、気合が、頭の良さが(ってこれはこれでどうにかうまくやっていくしかないけれど)。

でもなにかと足りない分、それをつねに自覚して、勉強しようっておもうことはできる。

いや、おもっているだけじゃだめ、勉強すること、それを続けることだ。